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ippuku

ものづくりが好きな塾講師のブログ

高校へ教育実習へ行って2日間。
歳とって落ち着いたのかなって思ってたけど、そうではなかったみたいで、私はかつての私に戻ったみたく体が勝手に動く。
生徒達に話しかけ、走り回り、色んな先生達に挨拶をする。美大に入ってから、挨拶を返してもらえない事に落胆してたのだと気がつく。高校では挨拶が返ってくる。すごく嬉しい。
高校へ出入りするようになって思っていたことがあって、それは、母校への実習にしなければよかったと言う思い。27になっても私は高校にいれば生徒の気分になった。結婚もして、あの頃とは別の生活をしているのに、高校生の私が地縛霊のように高校に存在していて、乗り移ってくるような気分だった。今と高校生の私が同時に存在しているようで変な気分になる。だから、教員の気持ちになりきるのは凄く難しい。どうして母校に教育実習へ行く習慣があるんだろうと思う。
それに、教育実習は忙しいよ忙しいよとあんなに脅されていたのに私は今日も外が明るいうちに帰っていて妙な後ろめたさがある。指導案も直して担当教員からオッケーが出た。3,4回書き直した。これだけ書くと頑張ってるように聞こえるのかな?私はちっとも頑張ってなかった。オッケーが出たのは、私の指導案に諦めがあったのかなと不安になる。教材研究も進めて、8割がた完成している。細かい描き込みは足りてないけれど、まあまあかたちになった。他の実習生の方から、石膏像を描くのが上手になったって言われて嬉しかった。でも私はそんなに頑張ってない気がする。描くのが楽しくて描いてただけで、頑張ってはいないと思う。もっと授業作りにこうゆう要素を入れたいと思ってるけど、入れていいのだろうかと担当教員に聞くといいよと言われて、指導案に更に手を加え、配布プリントも作った。いいんじゃないかと言われる。あっさりと。他の補うプリント作りもする。ちょっとイラストを入れながら。楽しいと思う。頑張れてるのかな?
私は苦しくならないと頑張ってない気がしてしまう。苦しんでそれに耐えることが頑張ってるっていうことなのだと何故だか思ってる。きっと多くの人間も思ってることだと思ってる。そしてしんどいと感じない。そりゃ早起きと立ちっぱなしが多いのはしんどいけど、教育実習に行った人たちの言うしんどいはきっともっとこの頑張ってる状態に近いことなのだと思ってて、私は2日間ではそれがない。来週になったら頑張らなきゃならないこととかしんどいのがやって来るのかな?
部活の担当とかはちっともないから放課後は自由が利く。体育祭の看板作りをしている生徒と話していた。楽しい。先生の頃の体育祭の看板はどんな?って聞かれる。全く記憶にないと答える。
私は高校時代の記憶がかなり欠落していた。看板を描いたことや、体育祭の予行練習でたくさん転んだこと、週番の担当になって日誌を埋めた日のこと、この日々を彼等もまた忘れてしまうんだろうか。私もかつて書いたであろう日誌、号令をかけたであろう週番の当番、全部忘れてしまっていた。

雨が降って、授業中静かな学校の外。木が生い茂って、雨の降る音を閉じ込めた。まっすぐに校舎から伸びる第一体育館への道、先の暗い通路、夏の独特の高校生達の匂い。一人、立って、それらを感じ取って泣きそうになる。ここを出て10年経って戻ってきた私は空っぽのような気がした。きちんと10年を生きていたはずなのに、それがなかったかのような気分になる。アイデンティティを模索していたあの頃と重なって不安定になる。そんな場所であと2週間と少し、生活をしていけるのかと不安になる。どうして教育実習先に高校を選んだのかと悔やむ。あの頃とは違うのだと何度も何度も心に塗り込んで美術室に戻る。
工芸選択だった私は幸いにも?美術室に懐かしさを感じずにいられるから。