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ものづくりが好きな塾講師のブログ

最近はそわそわしている。6月から始まる教育実習への不安でそわそわしている。

何故そう思われるのかもわからないし、もしかしたら無意識のうちに他人に見せている姿なのかもしれないが、アクティブで打たれ強そうで、物怖じもしなさそうとか色々言われるのだが、決してそんなタイプの人間ではない。他の人たちの中でどれほどの人が誤解されていると受け取るのか、思われている通りの人間像として捉えられていると感じるのかさっぱりわからないけれど、私は私自身を誤解されたままのことが多いなあとよく思う。会社を辞めた後になってから人事のおっさんが、そうゆうタイプの人だったのかと言ったこともあった。もしかしたら一般的な感覚とズレているところがあるからこそこう言われてしまうのかと思うと、ズレがどこにあるのか分からなくて簡単に落ち込める。

すべき事が山積みになっている。あまり予定を入れたくない。早く解放されたいと思う。一つ一つのすべき事を一つ一つこなして、それでまた一つ一つ増えていくすべき事。それを頭でわかっておきながら消化しきれずにいる。黙々と家で何かを作ってばかりだ。学生でなかったらもっと違うんだろうと思い、学生の身分を少し恨む。同級生達が結婚、出産、家や車の購入をしていく中で、取り残された気分だった。結婚してみても私は何も変わらない。わかってはいたがやっぱり取り残された気分でいる。その立場を選んだのは私なのに、取り残されたと言う言葉を使う。自分勝手だ。

昨日、塾の授業が始まる直前、担当の生徒の女の子が塾の入り口でお母さんと喧嘩していた。腕を引っ張られながらイヤイヤを繰り返していた。仕方なしに一人塾へ入ってきたお母さんを残して外へ出て彼女の元へ駆け寄ると涙目で、本人自作の小説を持っている。以前読ませてくれた小説だった。自分の気分のままでは動けずにいる彼女の必死の抵抗は少し羨ましかった。流されるままの人もたくさんいるのに彼女は彼女であろうと抵抗しているのだ。塾講師と言う立場でなければ彼女の思うがままをサポートしてあげたい。でも私は塾に居たら塾講師だ。お母さんと相談の末、とにかく塾の中に招き入れ、授業はしないからと伝え、世間話に付き合った。その後、笑顔で帰らせたはいいが、私に出来る事はどれだけの範囲なのだろう。その場凌ぎでしかないのだろう。ちっぽけだと思う。彼女達のような小学生、中学生のパワーには負けてしまう。そして大きく影響を受ける。私もかつてこんなにパワーがあったのかな、と比較対象が他に思いつかないからそんなことをふと考える。私だって持ってたはずだ、トンガリをたくさん持ってたはずだ。時間と共に風化して、トンガリはトンガリでなくなってしまって、別のところにアイデンティティを見出そうとする。いや、アイデンティティを求めることをやめた。どんどんとちっぽけになっていく気がする。