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ものづくりが好きな塾講師のブログ

今日も今日とて8:45頃に起き上がる。
短くなった髪の毛が未だ私の身体として収まっていないように思える。
髪の毛が長かった頃は重みで自然と消えていた寝癖もわざわざ直す。

昨夜百均でケースを三つ買ってきてガラクタを収めた。次は書籍。思い切って多少手放すことにした。夜は短し歩けよ乙女の本は知り合いから貰って2冊あったので、ハードカバーの方は売ることにした。この本の前の持ち主は、本の最後に一言二言感想を書く癖があり、今まで貰った数冊にも何かしら書いてあった。この本も例に漏れることなく書いてある。
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この状態で売れるかどうかはわからないが、2冊あっても仕方ないのでとりあえず店に持って行ってみる予定である。
あとは澁澤龍彦やショウペンハウエル等、読み返しもしない哲学的な何かといった書籍、美大受験生だった頃のデッサンについての本、山本直樹のレッドやぼのぼのコジコジ等…こうして列挙すると趣味趣向を晒しているようで赤面の想いだが、これらも思い切って売ろうと思う。
私はあまり本を読み返すことがない。
一度読んだことのある本を再び読むというのはなんとなく時間の無駄のようでやりたがらない傾向にある。歳をとってまた読み直せば違った見え方があるにしてもなかなか読み返さない。

次に過去の落書きを一箇所にまとめた。高校生の頃の落書きまで丁寧に残している。大して落書きの技巧は上がっておらず、ただただ落書きとして在るだけなのだが、なんとなく捨てられずに色んな場所に散らばっていたので一つの箱に収めた。前の大学の頃の落書き、社会人の頃の落書き、どれも一人で見ていてもなんとなく照れ臭い。私の内面が表面化したみたいなペンの走り書き達。私が死んだら荷物整理が面倒だろうなとも思う。

そして過去の旅行のパンフレットやチケットを一つのファイルにまとめる作業。これもあちらこちらに点在していたのをかき集める。写真もたまに出てくるので写真入れに挟む、と、その写真入れには中学生の頃の潰れてしまった遊園地のパンフレットが挟まっていて、何年経っても私と言う人間は然程変わらずに在ることがわかる。レシートまでとってあるが、そのレシートは文字がもうほとんど消えてしまっていた。けれど捨てられない。これらが劣化せぬよう丁寧に保存しながら、見返せるような代物にまとめたいとも思う。

書物の間の至る箇所にこれらの過去のものが挟まっており、一つ一つ、分別をする。こうして溜めておいて、これらはどうなっていくのだろう。でも私は60歳になっても80歳になっても保管し続けるのだろう。それまで生きてるかどうかは知らんけど。でも墓場までは持っていけない。死んだら全部誰かしらに捨てられて燃やされてしまうんだろう。それは別段構わず、私が生きている間だけ、私がその時その時を生きていた証のそれらを見返せればいいのだと思う。が、しかし、これは矛盾しているようにも感じる。生きている間だけ生きている証を見返すのは変な話である。(でも私が死んだからといって、私の生きていた証を見返したがる人間なんているんだろうか?)

こういった紙媒体のガラクタ達を片付けて家を出た。久しぶりに出した首元に、春の風が当たって少し寒い。