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ippuku

ものづくりが好きな塾講師のブログ

2月1日の昨日
中学入試が始まった。

15年前の2月1日、制服に重たい灰色のコートをまとって、受験へ向かったことを思い出す。

5時20分に起きて、タバコを一本吸った。パンをかじってもう一本。匂いを消して、家を出る。
すごく寒い。外はまだ暗い。
40分ほどかけてとある駅に向かった。
住宅地の中を突き進む。
道に迷わぬように、Googleマップストリートビューで確認した通りの道。
高校生らしき女の子二人が歩いている。彼女達について行くと、住宅地から突然グラウンドが現れる。
人気のない門で立ち尽くしていた。塾の関係者と思しき人が来ては消えた。正門に向かったんだろうか。
7:50。構内から受験生誘導のアナウンスが流れてくる。
まだだ。8時に来ると言っていた。もう少し待とう。でも正門に行ってしまったのだろうか?人気のない門から構内を歩く小学生達の姿に目を凝らす。見慣れた姿はない。
8時になり、会えないことに不安が募る。駅から歩いてくると言っていた。であるならばして、正門へ行くにもあの道を通るはずだ、と、住宅地への道を戻ろうと左の道を見た。ベンチコートに丸い頭、背丈の少し低い男の子とそのお父さんが二人で歩いてきた。見覚えのある姿。少しずつ近付いてくる二人を待って、そして手を振った。お父さんらしき人は気づいているようだが、少年は気付かない。私は駆け寄った。目をこらして私の顔を覗き込む少年。
「え?びっくりした…」
私は見送りに行くことを内緒にしていた。あまりきちっと約束してもこちらが寝坊する可能性だって十分にある。親御さんの連絡先すら知らない。会えてよかった。本当によかった。彼をお父さんと私で挟んで門まで歩く。緊張で表情がない。
門のところまで着く。そのまま歩いて行ってしまいそうな少年に
「握手をしましょう」
と話しかけ、手を差し出した。
握ってくれた手は、私より少し大きくて冷たかった。
「今まで頑張ってきたから大丈夫」
そう言って見送った。


家へ帰って昼の2時過ぎまで眠っていた。同居人が作ってくれたホットケーキが待っていた。テレビをぼうっと見る。そろそろ面接を終えている頃だろうか。

近所まで散歩をすることにした。あまりに寒くて喫茶店へ入る。
少年の双子の兄の合格発表の時間が迫る。中学校のサイトを開いて待機する。
しかしパスワードがかかっていて見れなかった。

塾へ連絡を入れて合否を聞く。
受かっている。
すごく嬉しい。でも不安だった。少年の合格発表までは一時間。双子の片割れが泣いて喜ぶ横でじっと一時間経つのを待っているのだろう。彼のことを思うと涙が溢れそうだった。過去問を何度もといて、多分大丈夫だろうと思えど、すごく不安だった。涙が出そうなくらい不安になった。

長い一時間だった。
少年の合格を確認して、デパートのトイレで一人泣いた。

一年半の間、二人三脚のようにして毎日会って一緒に勉強に向かっていた。最後の二週間は二人とも学校を休んで塾にこもった。少年の方は、休み時間が来るたびに何かと用事を作って話しかけてきた。終わってしまえばあっという間の一年半だった。算国理社の全科目を私が見ていた。一人で彼の受験を背負うのはあまりに重かった。一人の人生を左右させてしまうんじゃないかと怖かった。本当に私が彼の担当でいいのかと思った。でも夏になって本当に真面目に勉強へ取り組む姿を見ていたら放ってはおけなかった。出来る限り目の届く場所で、目の届くだけの時間、見守っていた。2月1日、一人で受験に臨んできた。でもずっと思っていた。私は一講師としては一人の生徒に情を注ぎすぎなのではないかとも思った。でもやっぱり合格を知ったときにはすごくすごく嬉しかった。頑張ってる姿をずっとずっと見ていたよ、と。

夜に塾から連絡がきた。泣いて電話があったと、私へのありがとうございましたという言葉もあったと。

そして、今日の昼間、双子そろって顔を見せてくれた。入試問題を片手に「この問題が解けなかったから教えて欲しい」と。彼らの目の前で解説をする。すごく笑顔だった。

普段口数の少ない兄も言葉を聞かせてくれた。彼の授業も多く担当した。こわばっていた表情がとけて、柔らかな笑顔を見せてくれた。制服姿を見せてね、卒業文集を読ませてねと言ったら苦い返事が返ってきた。ポツリと彼は言った。
「あの…前言ってた橘曙覧の詩集、見せてくれる?」
と。
覚えていたんだなと思った。私はもちろん覚えていた。
橘曙覧と言う素敵な作家を教えてくれたのは彼だった。私はいつでも貸すよ、おいでと言った。

二人に詩集や小説をプレゼントしたいと思う。弟にはなんの小説を用意しようか。貸すと言ってそのままあげようと思う。

春が来る。
二人は一年で背が伸びた。ズボンの裾が足りてなくて寒そうだ。爪を噛んでぼろぼろになってしまった兄の手が綺麗になるようにこっそり祈った。

本当におめでとう。
二人の頑張りをずっと隣で見させてくれてありがとう。

また新たな一年が始まる。
小学三年生からずっと見ている女の子の授業が今日もあった。彼女を来年の2月1日に送り出す。春が来るまでまた一年、子ども達と一緒に楽しくて苦しい日々だ。