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ippuku

ものづくりが好きな塾講師のブログ

友人から連絡がきた。私がtwitterでうだうだぐだぐだ書いていたからだ。

三年生になってから、美大での制作につまづいてる。二年生まではこうゆう技術を使ってみたい、こうゆう素材を使ってみたいっていうのがあったし、授業内容もそんな感じの趣旨を歓迎していたように思う。三年生になっていざ好きなものを作っていいよと言われて、つまずいているのだ。

と、その前に情報整理が必要で、私が美大に入った理由である。SEを続けていたらこんな人生やだよってなっちゃったってのはある。新卒一年目で既に転職済みだったこともあり、次の就職は難しいということもあった。つまり全うな社会人をやることが難しい状況だったのである。結婚しろと親から言われるのも面倒臭くて、美大を受験した、というところはある。じゃあなんで美大なのか。美大でなければならなかったのだ!それは私が中学生の頃から美大という場所に足を踏み入れることに憧れていたから。一番仲の良かった友人が高校受験の際に美大の付属を受験したことがきっかけだった。人に絵を見せることはなかったけれど、絵を描くことが好きで、そんな私にとってその友人の選択はすごく羨ましかった。絵を描くことならどこでもいつだってできる。でも堂々と絵を描くことをできて、認められる環境というものがあることを知って痺れた。高校二年生の時に美大の資料を集めていた。親も知っていた。大反対された。結構な進学校に行っていたこともあったんだと思う。親は何を期待していたのか。高校生の時は勉強が大嫌いで、カタカナのオンパレードの世界史は13点、理系のくせに数学3は2点、英語の学力テストも15点。本当に100点満点のテストなのかと疑うほどの点数を取り続け、高校内偏差値は20代をたたき出していた。家庭内の事情もあり、親は私の点数なぞどうでもよかったようだが、美大だけは反対され続けた。

まあ結果的には一般大学に入ってよかったと思っている。おかげで今、塾講師をしながら生計をたて、なんとか大学に通えているのだから。

で、だ。1回生でクラシックギターをはじめ、3回生で美術研究部に入り、アートだらけの毎日を過ごした。すごく楽しかった。3回生後期、研究テーマを決めた。私は留年が決定していたこともあって壮大なテーマを与えていただいた。不勉強が祟って、研究は全然進まなかったけれど、アミノ酸やタンパク質を扱ってるうちに、これらを音に置き換えたら面白いんじゃないかとか漢字に置き換えるプログラムを書いてみようとかそんなことを思っていたが助教の先生にとめられた。そうして迎えた就職活動期。院進か就職か美大か。迷っていた。でも就職にした。結婚したいというか家庭が欲しかったし、当時の研究も楽しかったけれど、先が見えないことや親が院進にまるで理解がなかったことなんかも理由。美大と言う選択肢は親に言うことすらできなかった。ただでさえ留年していたのだから。

そうして就職した。働いた。辞めた。これまた美大を考え始めた。でもここで逃げたら本当に社会から逃げ出すこととなる気がしてもう一度働いてみようと思った。んで、結局辞めた。私は24歳になっていたし、世の中は木枯らしの吹く季節になっていた。予備校の無料体験を6校まわり、1校だけ迎え入れてくれた。こうして私は10年越しの夢を晴れて叶えたわけだ。

気付いたと思うのだけれど、私は美大と言う土地を踏みしめて、美大生っていう看板をぶら下げてみたかっただけだったのだ。入学して満足した。そのまますぐ辞めてもいいかもしれないと思った。しかし、厄介なことが起こった。塾講師という仕事にはまりこんだ私は教員免許が欲しくなってしまった。だから教職をとることにした。優先順位は 1.塾 2.教職 3.専門/単位 となった。これはもう書き起こして自分の頭の中に叩き込んでいた。大学は教員免許をとるために通うことにした。専門科目は今までなかった技術を手に入れることが楽しく、でもそれまでで、制作は最低限に留めていた。作りたいものは特になかった。いや、なかったわけじゃない。生徒向けに漫画を書き溜めたり、アクセサリーが作りたくなれば作ったり、縫い物をしたり。思いついた時に思ったまま作ることは当時もその前からもずっと続けていた。でもそれは、制作じゃなくて工作だった。何かに不満があるとき、嫌なことがあるときに工作に没頭すると充足感があふれた。あれと一緒だ、授業中の落書き。授業内容がわからなくて、つまらなくて不満たっぷりになって落書きをする。その落書きに意図はないし、強い思いもない。私にとって作るっていうのはこういうことだ。

三年生になった。私には作りたいものが思いつかなくなっていた。なぜなら、幸せな日々だからだ。特に悩みもなかった。毎日笑顔ではっぴーだ。二年生の夏までは不満の塊だったからせっせといろんなものを工作していたように思うけれど、今はその時間があったら外へ出て遊びたくなってしまう。幸せだから作りたいものがない、でもこれは今、美大生の私としては不幸だ。

美大っていうのは制作をする前にいろんなことを下準備としてコンセプトやらなんやら詰めて、制作して、それを発表しなければならない。私にとってアートは授業中の落書きなのだからコンセプトも発表したいテーマも何もない。だけれども、美術の教員免許取得のために、この実習は捨てられない。苦しい。だってないところからテーマを出さなければならない。仕方なしに私は尤もらしいテーマを掲げてみる。タンパク質やアミノ酸そして教育、そんなでっかいテーマを高々と挙げてみた。挙げてみて、作りたいものは昔研究しながら遊んでいたアミノ酸の内容にした。でも具体的にこう作りたいみたいなのはなくって、こんなのができれば楽しいのになあと考えていただけのものしかなかった。だから具体的なものに落とし込むのは大変だった。んで、発表した。周りは目が点。皆が知らないようなことをやっているのだから当然なのだけれど、どうもテーマは研究に寄り過ぎらしい。ここは理系のキャンパスじゃない、美大だ。で、私は美大生だ。嘘みたいだ。こうして書くと凄く嘘くさい。理系の中でドベだった私は、理系に合ってないんじゃないかと思っていた。美大の中でもやっぱりドベを感じる。美大に合ってないんじゃないかと。相性で出来る出来ないを決めて逃げたいだけなのだけど。私は私の掲げたテーマに無理矢理合うものを作ろうとした。軸がないから批判されるとすぐにぶれた。正直単位さえ貰えればよかった。先生がこれはいいんじゃないって言ってくれると安心した。私はもう制作なんてしたくない。そもそも最初から制作なんかしたくなかった。そんなの美術予備校に行ったときからわかっていた。皆の前で作品を見せられて、講評されることに物凄く嫌気が指していた。私にとってみればアート(授業中の落書き)を皆の前で見せられて批判されることに理解ができないからだ。授業中の落書き内容についてテーマがどこにあるっていうんだ、なんで批判されなきゃいけないんだ。みたいな感じだ。いや、そりゃわかってる、美大って場所は例えば将来広告屋さんとか行って、モノ作って、コンセプトとか説明しなきゃならないわけで、そうゆう人間を育ててる場所だ。テーマを語って講評されて批判されて、そんなの当たり前じゃないか!!!でも私はアーティストとかデザイナーとかになる気は全くなくって、ただただ教育関係の仕事をしていたいだけだった。美大にいる意味なんてなかった。でも教職をとりたい。いろんな表現の仕方があることを子供たちに教えたい。子供たちのつくっているものを横から見ていたい。それだ、それだけだ。私はもう26歳になっていた。9月には27歳になる。結婚だってしたいし子供だって産みたい。時間がない。教育学部の美術専攻の編入先を探した。首都圏内にあることが条件だった。でもそんな大学は見つからない。全く無名な私大にはあるけれど、既に二年半の学費を払って多額の奨学金を抱えている身としては聞いたこともないようなよくわからんちんな私大に編入する気は正直起こらない。結局ここに残ることが最短の教員免許取得の道であることがなんとなく見えてきて、(編入したらもう一度三年生からだから)でも、だからって制作のやる気が起こるわけじゃない。

10年くらい前だったかな。「君に美大は向いていないよ」と言われたことがある。私にそうゆう環境は向いていないんだと飲み込んでずっと過ごしてきた。美大の受験を決めたときもその台詞が甦った。美術予備校でデッサンの講評のときも、美大の入学式のときも、そして制作と向かい合っている今も。わかっていてここにきた、入学をした。わかっていたのに対策を何も用意していなかった。だから私は、働いていることを理由に逃げてばかりだ。だって仕事マジで忙しいんだぜ?手取りいくら稼いでると思ってんの?でも、実際に不安の募りやすい私にとって働いている時間が一番安心した。少なくとも働いている時間内はお金の心配をしなくて済むから。

忙しいふりをしているけど、そんなに忙しくもない気がしている。辛いふりをしているけど、そんなに辛くない。今幸せなのは自分のことを考える時間があるからだ。私はその幸せを手放したくない。

25歳の一年間は、心が無だった。一生懸命働いたと思うし、課題も必死に取り組んでいた。過ごしたくない家でじっとして時には荒れて、外で人と話す気力も起こらなかった。私はあんな風にはもう二度となりたくなかった。時間をすべて私以外のことで埋めてしまうとすっからかんになってしまうことを知っているから、今のままいたい。わがままだ、全部わがままだ。どうしたらいいかわからない。

あともう一つ、危惧していることがあって、私が好き勝手やってられる目処は私が28歳になる年までだ。24歳で美大受験を決めたのは、この目処にぎりぎり間に合うからだった。28には自立してなきゃいけないと思うのにまだまだ将来の夢がいっぱい。小学校の教員免許も理系の教職もとりたい。困ったことだ。

でもでもこの歳になってもやりたいことがいっぱいあるんだから幸せだ。こんな一瞬の制作に頭を悩ませていては時間がもったいない、そうだ、もったいないんだ。