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ものづくりが好きな塾講師のブログ

私が食事の味について具体的に説明できない理由

私はとっても味音痴だ。あの料理はおいしかったと人に伝えて、どんな味だった?と聞かれてもいつも「おいしい味」と言って相手を苦笑させてしまう。実際にどんな味付けがほどこされているか全く予想が出来ないのだ。
でも先日話をしていて、その理由がわかった気がするから文章にしてみたいと思ったから、今、これを書き始めたんだけど、上手く人に伝えられる自信がない。感覚とか育った環境に因るものだから。

母親が「お義母さんの⚪︎⚪︎は本当に美味しくて、いつまでも作っていてもらいたいからレシピは聞かないわ。」と私が幼い時から祖母によく言っていた。だから、レシピはあえて聞かない方が作り手の健康を祈るのと同義のように思っていた。レシピを聞いてしまうと、まるでその人の死を願ってるような気持ちになってしまうのだ。でも、確かにレシピ通り作ったって、全く同じように作れるわけじゃない、それはわかっていてもやっぱりレシピを聞いてしまうのは怖いのだ。

私は母親の作る唐揚げがとても好きで、今でも実家に帰る度に母親はその唐揚げを作って出迎えてくれるのだが、数年前にその唐揚げのレシピを不意に聞いて、作ってみた。レシピって言っても適当な母親の性格もあってかなり適当なレシピだったんだけど、遺伝子をきちんと引き継いだ私の適当な性格は、まるでそっくりそのまま母親が作った唐揚げと同じ唐揚げを作ることに成功してしまって、少し悲しくなった。好きな母親の料理を自分で再現出来てしまうことで、あの好きな味を簡単に手に入れることが出来ることに気付いてしまったのだ。

幼い頃から、レシピを人に聞いてしまうことは失礼だと感じていた私は、無意識のうちに、食事をとっても、味から調味料や調理方法を想像することをしなかったんじゃないかと思った。味音痴って言われるけれど、美味しいものは美味しいってわかるし、不味いものは不味いってわかるし、言う。美味しいって思って、その料理が好きになることが大事なのであってレシピを考えることは失礼だとどこかで思っていたのかもしれない。

先日この話を人に説明していたら私の中ですとんと何かが落ち着いた。味の出処に興味がないんじゃなくて、興味を持たないことが美徳だと思っていたんだと思う。