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ものづくりが好きな塾講師のブログ

春が来た。
春が来たのでギターを弾く。
冬の間は指がかじかんでちっともギターを弾けなかったんだけど、春が来たらギターを弾ける。
五ヶ月間近く弾いていなかった。譜面に噛り付いて指を動かしてみる。前まで弾けていた曲も運指を忘れて手こずる。悔しい。
マンションに住んでるから消音器をつけて演奏をしてる。スポンジがくっついていて、弦を挟んで弾くのだ。ぽんぽんとする音がかわいい。ギターを弾ける喜びだけでその時は十分だった。弦を押さえる、弾く。その繰り返しだけで十分だった。ギターを弾けるだけで幸せに満ちた。誰かと一緒に居られなくて、一人になってもギターさえあれば大丈夫だと思えたあの頃の瞬間が蘇った。本当にギターが好きだと思う。ちなみにここに書くギターは全てクラシックギターのことで、フォークギターとは違う。ナイロン弦を使うクラシックギターはフォークギターほどキンキンとした音が鳴らない。もっと柔く優しい音がする。世の中のBGMではしょっちゅうクラシックギターが使われているけれど、世の人はあんまりなんの楽器が使われているかは気を留めていないように思う。少なくともギターを始める前の私はそうだった。
昨夜、消音器を外した。小さな音でいつも練習する曲を弾き始めた。すごく綺麗な音が耳に響く。弦なんて一年以上変えていない、ダメになってヘタっている弦だ。なのにすごく綺麗な音だった。もう一度クラシックギターに恋をしたかのような嬉しさだった。
部屋を模様替えした。いつも座る場所から手の届く場所にギターを置いた。今までは、いつも座る場所の背に置いていたのだけど、右手の届く範囲に置いてみた。いつだってギターが目に入る。手に届く。それだけで十分幸せな気がしてる。
私はリズム感に非常に欠け、一定のスピードで弾くことは苦手だし、人一倍手が小さくて、3フレットセーハ(バレー)で7フレットを小指で押さえるなんてのも非常に苦しい。きちんと基礎の練習をしてるわけでもなくて我流で本当に下手なんだけど、それでも曲を弾くと凄く幸せになる。誰かに聞かせたいとかは全然なくって、私が弾いて私が聴いてれば十分だった。

社会人やニートや受験生をしていた8ヶ月の間、両親と同居していた。1LDKに住む両親のところへ転がり込んだので私の居場所はいつも居間に置いた折りたたみのベッドの上で、ベッドに立てかけてギターを置いて隣で寝ていた。少しでも暇があればベッドに胡座をかいてギターを弾いた。後輩からもらった楽譜である曲をいつもいつも練習していた。Bメロはあんまり好きじゃなくていつもAメロばかり弾いていたんだけど、母親は飽きもせずに耳を傾けてくれていて(いや、テレビが点いていようと何してようと私が構わず弾いていたからイヤでも耳に入って来たのだろうけど)「その曲、いい曲ねえ、私の葬式で弾いてね」って言っていた。葬式で弾かねばならなくなって、練習してるとなんだか母親の死を願ってるみたいになってしまうのが多少嫌だったのだけれど、それでもこの曲を今も練習し続けている。母親の死を願ってるわけじゃなくて、単に好きな曲だからって言うのもあるんだけど、離れて暮らしてる今、母親のことを考えながら弾くのもまあ一つの親孝行的な良いものかもしれないな、なんて思って弾いている。

クラシックギターを始めて九年目の春が来た。ちっとも上達はしてないんだけれど、手に取って譜面を見ながら弾き始める。運指はどうやるんだったかな、なんて考えて、ふと譜面を見るのをやめてみた。驚いたことにすらすらと指が動く。きちんと指は運指を覚えていた。頭で考えるより体が勝手に動くのはこうゆうことなんだろうなと思う。

ギターばかり弾いていた頃は、暇を持て余した学生の頃で、その時は人生とは何かとかそんな暇な大学生らしいことをしかめっ面してタバコを噛んで考えていたのだけれど、そんな時間も決して無駄ではなかったのかな、なんて勝手に動く指を意識して思う。誰かのために何かを作り上げることも、思いやることもしてきたわけではない、世の中の平和や経済に手伝ったわけではない。だから世の中から見たら価値はちっともないのかもしれないのだけれど、やっぱりギターに触れてる時間は幸せだったなあと思うし、その時間の上に積み重ねられた今もギターを握って幸せだなあと思うのだ。