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ものづくりが好きな塾講師のブログ

最近とっても言葉が溢れてる。体の中に溢れてる。凄く吐き出したくてたまらないからevernoteにぶち込んでいるんだけど、でもたまには世の中に吐いてみたくなる。別に吐き出すほどの言葉じゃないんだけど、まあtwitterみたいな感じ。でも140字じゃ抑えられない。

他にもブログを持ってるんだけど、心機一転したかった。なんたって私は新しくなったからね。たくさんの嫌なことがあって人格が変わってしまった一年を経て、私は新しくなったのだ。

その一年間、絵日記をつけて公開していたけれど、あんまりにも閉じ込められた生活だったものでどんどん絵日記をつけるのが億劫になっていった。それで止めてしまった。あの日何をしたっけ、どうしてこんなにお金が減ったんだっけ、ああそうだったあれをしたんだった、みたく絵日記を振り返ることはあったけど、あとは暗黒の生活ばっかり。

今は違う。晴れればすごく幸せだし、曇れば元気だけど、気分が乗らなくなる。

そして、体が素直に風邪を引くようになった。これも嬉しいことだ。肩肘張って生活してると風邪は引かない。何がなんでも生活のリズムを整えておく。まるでそうしないと死んじゃうかのように頑なに守る。だから風邪は引かない。

別に今だってそんなにでっかい夜更かしをするわけじゃないし、手洗いうがいも欠かさない。でも、ちょっとだらけてる。だらけられる生活なのだ、居心地がなんていいんだろう!

煙草も堂々とまたはじめた。本当はこっそり知られないように吸っていたんだけど。煙草はまあいつかはやめる。将来を考えればね。でも今はいいと思う。一服タイムが必要なのだ。それに最近気付いたんだけど、歩く時間も必要。特に日向を歩く必要がある。今日はこれをやって、あれをやって、なんて朝は考えながら歩く。考えることがなくなったら、いっぱい妄想をする。たくさんの御都合主義を詰め込んだ妄想はいっぱい幸せにしてくれる。そんな妄想が叶うことがないっていうのも知ってる。でも楽しいからいい。

まあそんなわけで、私には一服タイムと歩きタイムが必要で、ここのタイトルも一服なんて設えてみた。新しい自分の一服場所だ。でもきっと更新はたまにしかしない。なんたって私は忙しいのだ。朝は7時前には起きる。そして授業へ向かう。授業は真面目に聞く。たまにうとうとしちゃうこともあるけど、概ね真面目だ。昼ごはんを食べて、授業がない時間になると課題をやる。かたかたとキーボードを打つ。レポートって言うのは書き始めるまでは億劫だけど、始めてしまえば早い。2000字のレポートだって2500字くらい書いちゃう。かたかたかたかた打つ。文字カウンタなるサイトでいっつも字数を確認する。最近はワードで打たない。gmailで打つ。自動保存してくれるからデータが飛ぶ心配がないのだ。だから文字カウンタが必要になる。書き終えたらワードに貼り付けて体裁を整える。ワードってのは機能がたくさんある。こーゆーこと出来たよなあくらいにしか覚えられなくて、いつもその機能までどう辿り着くのか忘れてしまう。だからいつも検索をする。検索をすればあっという間だ。レポート課題が終われば、だいたい制作課題に取り掛かる。この大学は平日は夜九時までしか開いてないし、日曜日は全く施設が使えない。なんてこったい。24時間365日使える大学と比べてしまわれる美大もかわいそうだけど、なんてこったい。信じられないよ。だから、せっせと制作に取り掛かる。時間は限られているからね。最近は立体物を制作することが多くなって、ヤスリをかけることを覚えた。ヤスリってものがあるのは知っていたんだけど、立体物を作るときにはヤスリがかかせない。ヤスリを使ってなかった頃はなんだったのか、ただの物体だったんじゃないんだろうか。ヤスリをしてやると立体作品は命が宿る。そんな気がしてる。絶対そんなことないだろうけど。ヤスリをかけるとき、最初はだいたい機械のヤスリでだばばばばとかけてしまう。だけど、機械だけだと、丸い立体物に面が生まれてしまうからやっぱり自分の手でやるのが一番だ。でっかいでこぼこをとりあえず機械で消してしまう。だばばばばば。隣の知らない先輩が他人の制作物を蹴飛ばしている。だばばばばば。辺り一面が粉だらけになる。上着にも付着する。ズボンにもブーツにもその色に染まる。だばばばばばば。隣の知らない先輩がとても苛ついているが無視。だばばばばば。そんな感じで機械でヤスリがけをしたら、次は金属ヤスリを使う。ごりごりやる。右利きだから右手で金属ヤスリを持って、左手で作品を持つ。ごりごり。彫っている時や練っている時以上にヤスリがけって言うのは無の心が必要だと思うんだ。ごりごり。妄想はあんまり膨らまない。他の景色も見ない。ごりごり。そうやって立体作品はすべすべに近付いていく。ごりごり。金属ヤスリもやっぱり面がつきやすい。ごりごり。ここら辺で紙ヤスリに換える。耐水のヤスリを使うべきらしいけど、水場がないし、そんなに気にする素材でなければ紙ヤスリでいいと思う。木片に巻きつけてじゃりじゃりさせる。じゃりじゃり。右手でじゃりじゃりしながら、左手の親指で表面を確認する。じゃりじゃり。ここでは気を抜いてはいけない。ヤスリがけっていうのはヤスってない場所が出るものだ。どんなに小さな立体物でもヤスリ忘れが出てしまう。だから充分に全体を見渡すことが大事だ。じゃりじゃり。どんな細かなところも忘れない。じゃりじゃり。そろそろ木片を握るのも飽きてきた。じゃりじゃり。紙ヤスリだけを右手に持って、手で作品を包むようにヤスリがけを始める。右手にも作品の形が伝わってくる。これぞまさに命の吹き込みって感じ。なんて書いたけど、普段そんなことを思ったことはない。目の細かいヤスリに換えていく。じゃりじゃり音は滑らかな音になる。降る粉もどんどんきめ細かくなっていく。服につくと落ちにくくなる。そろそろ上着を風呂場で洗わなきゃな。そんな風に二時間も三時間もヤスリをかける。少し前の私なら、そんなことに時間をかけられないと思ったと思う。でも今は違うのだ!これは心のゆとり故だと思う。ありがとう、ゆとり教育。私はゆとり教育一年目の世代である。

そうして、制作をしていると、この時期はあっと言う間に日が暮れる。そろそろ塾へ向かわねばならない。なんたって私は塾講師だからね。それで、朝来た道を歩く。最近はデコレーションされたライトがきれいだ。昔に比べてピンクとか青が増えた気がする。それはLEDのおかげだろう。きらきらしてる。夜で暗いのにきらきらしてる。車のヘッドライトが近付いてきて、後ろを走り去って行くのを体で感じるのも好きだ。光が一気に近付いてきて、一気に遠ざかる。それを繰り返す。いったいここら辺には何台の車がいるのだろう。車は絶えない。でも渋滞はしない。音楽を聴いて歩く。最近はスピッツを耳に流してる。悪くない。私の悪くないは結構良いって評価だ。悪くない。口ずさむとかそうゆうのはしない。公共の場で口ずさむ人を私は嫌ってる。なんだか漫画の主人公気取りみたいだ。そんなにあなたは美しくないし、この世界も漫画ほど美しくないぞって思う。でも小学生とかのちびっ子が口ずさむのは許す。子どもは美しいって思うわけじゃない。子どもは嘘をつく。大人に見透かされないと思って嘘をつく。美しいわけじゃないのは毎日のようにガキんちょと接している私は、割と世の中の人たちに比べてガキんちょがいかに美しくないかを知っている方だと思う。でも子どもたちは口ずさめばいいと思う。いっぱい体も感覚も動かして、自分の限界を知ればいいと思う。そうやって歩いていく。あんまり天気がよくない日はどうしても俯いて歩くことが多い。特にヤスリがけをした帰りは、地面のアスファルトの凸凹をヤスリがけしてやりたくなる。なんて凸凹なんだ、なんて美しくないんだ、ヤスリにかけてやろうかこのやろうとか思う。口にしないけど。

そうして駅に着く。電車に乗り込む。絶対に座りたい。だって私の鞄はとても重い。飲み物が入っているし、いつも常に入れてあるファイルもペンケースも空になった弁当箱ですらなんだか重い。だから座る必要がある。座るとkindleを開く。借り物のkindleだ。結構気に入っている。今貸してくれた主はkindleを使っていないから借りていてもいいのだ。kindleはつまり本だ。本を開く。本は好きだ。物語ばかり読む。エッセイはあまり読まない。お前の日常なんて興味ねえよって感じになる。物語は妄想が楽しい。私が思い描ける範囲だけの妄想世界になる。と、書いていると、私はとても妄想が好きなんだなあ。

少々私の日常を書くにも飽きてきた。お腹が空いてきたからだろう。指も冷えてきた。コタツで書いているとは言え、コタツはパソコンの上にある私の指までは暖めてくれない。

ところで欲求の五段階って話がある。恥ずかしながら、教職用単位を取ることになってから私は知った。一番下位にあるのは生理的欲求だ。あんまり覚えてないからここに書くことを鵜呑みにしてはならない。生理的欲求って多分、トイレに行きたいとか、ご飯が食べたいとか、寝たいとかまあそうゆうのだと思う。この日本って国にいる限りだいたいこれらのものは満たされる。ちなみにお腹が空くと猛烈に集中力を欠く私は、お腹が空くことを恐れている。生理的欲求が満たされると次は安全の欲求に移行する。安全の欲求はそのままで、安全な場所にいたいのだ。これは日本だからって守られるものではない。っていうことが最近になってわかった。なぜなら最近、社会的欲求に物凄い絡まれているからだ。大学で友達が欲しいと思うようになった。大学では基本的に誰とも話さない。挨拶をする相手がいればマシな大学の一日になる。そうゆうレベルだ。でもこれが少し前までなかった。この欲求がなかったと言うことはだ、安全の欲求のレベルに留まっていたと言うことだ。安全の欲求が満たされていなかったのだ!これに私は気付いた。勉強していて良かった。勉強って大事だ。だから社会的欲求不満でもやもやしている今の私は幸せなのだ。だって安全の欲求が満たされているのだから。ちなみにその上にいくと承認欲求になって、まあ誰かに尊敬されたいとか思うんだけど、私は友達が欲しいみたいなのと承認欲求が混ざっちゃってるから、一部では友達がいるからそこでは承認欲求が蠢いて、友達のいない大学では社会的欲求がうずうずと体を走るんだと思う。最後は自己実現欲求。これはなんなんだろうな。夢を叶えたいとか、制作したいとかそんな感じなのだろうか。調べたら自分がなりえるものすべてになりたいみたいなことが書いてある。よくわからない。下位四つの欲求が満たされたときに見えるんだろうか。ってことは、満たされたことがないのか?

そろそろ手が死んでしまう。なんてくらいかじかんでるけど、ちょっと一服してこよう。